2012年08月31日

澤穂希選手のインタビュー

31日の夕方の大阪のテレビのFNNニュースアンカーで、澤穂希選手の独占インタビューを放送されていました。
(またかってにごめんなさい。 一部になりますが、要旨を書かせていただきます。)

(ロンドンオリンピックでは?)

オリンピックでの目標であるメダルを取れたのは、良かったです。
まわりの期待は、メダルを取るのは当たり前という感じで、プレッシャーを背負っていた。

でも、しっかりやれば、結果はついてくる。

(決勝戦のあとで)グラウンドでみんな悔しかった。
大野(忍選手)と宮間(あや選手)が、”みんなやりきった?”・・・と聞いた。
”笑顔で胸張って、表彰台に立とう・・・。”(ということになり。)

チームの仲間の良さもいいな・・・と思いました。

(澤穂希選手の今後のことは?・・・)

次のオリンピックは37歳になるし、今の時点では考えられない。
サッカーは続けたい気持ちはある。

”代表”って、自分がしたくても出来ない。
自分で”代表を引退します”・・・と言うのも、おかしなこと。

(代表は)指導者が決めること。
またやりたい・・・という気持ちはあります。

以上、重みのある率直な澤穂希選手の言葉でした。

お話は変わりまして、関西の天気ですが、大阪の8月の雷日数は10日で(3日に1日)戦後最多・・・とのことです。
そして、大気が不安定で、あと2日位はいつ雷雨になるか分からないらしいです。

31日の夕方にも、私のいます所にひと雨きましたですね。
来週の後半には、やっと秋の気配・・・とか。

それと、今後は秋雨前線とこれから発生するかもしれない台風の”大雨”にも注意・・とのことでした。
日差しは、さすがにやや弱くなりつつある感じですね。
それではまた。

posted by 白うさぎ at 22:28| Comment(0) | ロンドンオリンピック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月23日

太田雄貴選手の生出演でした

しょっちゅうこういうテレビの内容ですみません。
23日の大阪のMBS毎日放送の午後の”ちちんぷいぷい”にフェンシングの太田雄貴選手(26歳)が生出演でした。

ロンドンオリンピックのフェンシング・フルーレ団体戦のドイツとの準決勝の最後の2秒から追いついて、延長戦で逆転したのが、すごかったですね。

太田雄貴選手は、8年前の18歳の初出場のアテネ五輪の個人で9位。
北京での銀メダルからとても有名になりましたですね。



太田選手は、前々から、マイナーなスポーツのフェンシングをメジャーにしたくて、その目立つ場がオリンピックくらいしかなかったのだそうです。

ロンドンのフェンシング・フルーレの団体戦は8チームの争いで、ドイツ戦の前の試合の中国チームは、個人で金メダルを取った選手がいて、その達成感のせいか、ダラットした感じがしていたとか。

フェンシングの”フルーレ”という意味は、”練習用”とかいう意味だそうです。
フルーレのルールは、顔と腕を除く上半身が”有効面”と言いまして、そこを剣で突きますと、マスクのライトが点灯するのだそうです。

先に腕を伸ばして、剣先を相手に向けた方に”攻撃権”が与えられるそうです。

準決勝のドイツ戦の太田選手の相手は、こちらもエースのヨピッヒ選手。
今まで、太田選手が6回負けていて、4年前の北京で初めて勝ったという強敵でした。

そして、太田選手が1ポイント負けていて、残りが2秒。
太田選手ご本人は、”半分ハラハラ、半分やるしかない”・・・という開き直りの気持ちだったとか・・・。

そして、立ち位置も重要なポイントで、太田選手がヨピッヒ選手の陣地まで進んできていましたので、ヨピッヒ選手がもうこれ以上後ろへ下がれないことも有利だったとのことです。

太田選手は、残り2秒で”とりあえず全面の有効面を突くしかなく、太田選手が突いて、ヨピッヒ選手が止めて外れ、逆にヨピッヒ選手が突いて外れ、太田選手もまた外れ、ヨピッヒ選手がもう一度突いてきて、逆に太田選手の剣先がヨピッヒ選手に当たった・・・ということらしいです。
(間違っていたら、ごめんなさい・・・。)

そのあとの延長戦で太田選手が勝ったのですね。
太田選手が気持ちと執念で取った試合でした。

もともと太田選手は、お父さんにフェンシングを始めろ・・・と言われて、始めたそうです。
(当時にテレビで”快傑ゾロ”という番組があり、お父さんがファンだったとかいうお話も・・・。)

太田選手は滋賀県で、帰りのバスが7時半頃までに終わってしまうので、お父さんが中学、高校、大学と送り迎えをして、帰ってからお父さんが夕食を作っておられた・・・というお話も。(これは、夜の別の番組でのお話でした)

このお父さんは、ロンドンにも応援で行かれ、太田選手に、”目立とうとし過ぎ・・・”と言われたとか・・・。

ところで、日本人のフェンシングをする人は協会の発表では、1万人。
実際には5000人位だそうです。
太田選手は、この人数を2〜3万人位にはしたい・・・とのお話でした。

いやいや、たったの2秒、1秒でも、スポーツではドラマがあるのですね。 興味深いお話でした。
今回はこんなところで、ではまた。

 
posted by 白うさぎ at 23:07| Comment(0) | ロンドンオリンピック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月21日

佐藤冴香(さやか)選手のテレビ出演

20日の昼過ぎのテレビのひるおびに、女子バトミントンの佐藤冴香(さやか)選手が生出演でした。
佐藤選手はロンドンオリンピックの試合中に、左ひざを怪我した人ですね。

佐藤冴香選手は21歳で、日本体育大学の4年生。 宮城県出身だそうです。
小学校3年生からバトミントンを始めて、中学校までは無名。 

2008年の高校総体で、女子シングルスで準優勝。
同じ年の世界ジュニアバトミントン選手権大会の、女子シングルスで準優勝。

2009年には、ニュージーランドオープンの女子シングルスで優勝。
その他の海外の大会でも活躍して、今回のロンドンオリンピック初出場でした。

今回のオリンピックでも、1・2回戦を勝って、準々決勝をかけた試合中の、それも試合を優勢に進めている最中の怪我でした。

今回はご本人がテレビに出演されていたので、興味深かったです。
ご本人のお話では、体の調子がよくて。体がよく動いていた・・・とのことでしたので、とても残念だったそうです。

怪我は、左ひざの前の、十字じん帯の負傷と、半月版損傷で、全治8ヶ月〜1年の大怪我ですね。
ご本人のお話では、その瞬間に”プチっ”と音がした・・・とのこと。

今まで大きな怪我をしたことがなかったので、何が起きたのか分からなかった。 
3分位は痛かった・・・とのことです。

コーチが”いけるか?”と聞いて、佐藤選手は”やってみます。”と答えて、しばらく試合を続けかけたのですが、コーチが止めて、無念の途中棄権・・・となりました。

佐藤選手は、4年間このために努力してきて、怪我をして試合を去ることが一番悔しい。 痛みよりも、もっと長くコートにいたかった・・・とのお話でした。

こういう怪我って、突然なので、何が起きたのか分からないって・・・私も経験があります。
この記事を書いています私も、15年位前に朝に会社へ自転車で向かっています時に、車道から歩道の段差で自分の自転車が左にそのまま横転しまして、左肘を複雑骨折してしまいました。

私の場合には、その後入院をして手術をしてもらいました。
私も骨折は初めての経験でしたので、レントゲンを撮ってもらって、お医者さんに”骨折しているよ。”・・・と言われるまで、どうなっているのか分かりませんでした。

それはともかく、佐藤冴香選手がロンドンオリンピックで、怪我をしても試合を続けようとした勇気に、拍手でしたですね。  

ただ、見ている人は、突然何が起きたのか分かりにくかったです。
試合の途中の、単純な着地のような時に、大怪我が起きることがあるんですね・・・。

また、佐藤冴香選手となでしこの熊谷紗希(さき)選手は高校(宮城県の常磐木学園高等学校)で3年間同級生だったそうで、今回もロンドンの選手村で会おうね・・・と約束していたけれど、会えなかったそうです。

また、次のリオのオリンピックもありますし、佐藤冴香選手は怪我をちゃんと治して、またがんばっていただきたいと思います。 お疲れさまでした。

posted by 白うさぎ at 22:24| Comment(0) | ロンドンオリンピック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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